「あ……」
 しまった、という思いと同調したかのように、その場で硬直したままユーゴは暫し考え込む。幸い、辺りには人気がなかったためにその不自然な行動を見られることはなかったが、そんなことはこの際どうでもよかった。
「………………」
 その赤い実を前に、ユーゴは苦虫を潰したかのような表情を浮かべる。
「……ちっ、僕としたことが……。今頃になって思い出すなんて……」
 そんな自嘲めいた言葉を吐き出すと、目の前のそれを手に取り、歩き出す。
 向かう先は、すでに決まっていた。





 目的の人物はやはり、あの場所にいた。あまりにも予想に違わなかったために、ユーゴも思わず苦笑いを零す。
「……また来ていたのか」
「あ、ユーゴ君!」
 あれから、眠りについた女神たちはラスティーニ鉱山の奥に安置された。見た目には石像としか見えないその姿に一抹の寂しさを覚えながらも、ユニカは毎日欠かさず彼女たちの元に訪れてはその日あったことなどを話すのだった。
 その声が彼女たちに届いているのかは分からない。
 しかし時折、動かぬはずの女神たちが微笑んでいるかのように感じるのも確かだった。
「あのね、今日はお二人にプレゼントを持ってきたんだ」
「プレゼント?」
「そう、さっき近くで見つけたんだけど……」
 ユニカが取り出したのは、青く透き通った一輪の花。
「セルセタの花、か?」
「うん。とても綺麗だったから、思わず摘んできちゃった」
 そう言いながらユニカは二人の女神像に花を添えると、満足そうに微笑む。
「レア様とフィーナ様、喜んでくれるといいな」
「………………」
「ところで、ユーゴ君も女神たちに会いに来たの?」
「あ、いや……僕は……」
「……?」


 ここに来た目的は明らかだったが、それを正直に告げることが出来るほど素直でもなかった。
 結局、ユーゴはあの赤い実を目の前に差し出すことで何とか意を伝えようと試みる。
 が、しかし――。
「あ、これって……リンゴだよね? この辺でも生えてくるようになったんだ」
 それだけでは、彼女には伝わらなかったらしい。仕方がない、とユーゴは意を決して口を開く。
「前に……これを貰った時、ちゃんと礼を言ってなかったからな。だから……」
「え、あの時のお弁当のこと? わざわざ言いに来てくれたの?」
「いや……偶然見つけたから、その……」
「ありがとう! えへへ、何だか……懐かしいね」
 あの時のことが“懐かしい”と思えてしまうほど、月日が過ぎるのは呆気ないものだった。魔物に荒らされた大地を元に戻すために、あちこち駆けずり回っていた所為もあるかも知れない。
「……お母さん、よく作ってくれたっけ……」
 “もう会えない”と、頭では分かっているつもりでも、ふとした瞬間に思い出してしまう。それはユーゴにも痛いほど理解出来ていたが、こんな時に何と声を掛けるべきかは全く分からなかった。「ユーゴは頭はいいけど、肝心な所で要領が悪いよね。不器用っていうのかな」というのは幼馴染の言葉だが、いざ実際にこのような場面に出くわすと反論の仕様がない。
 そのままじっとその赤く熟れたリンゴを凝視していると、ふとあることを思いついた。
「……すまない、ちょっと用を思い出した」
「あ、うん。じゃあ……あ! リンゴ、ありがとね!」
「ああ」
 明るさを取り戻したユニカの声を受けると、ユーゴは足早にその場を後にした。



過ぎた日に



「んー、まあ……上出来かな」
 幾つかに分断された木片を前にして、エポナは満足げに頷いた。
 いつもの三叉槍とは違い、いま彼女が手にしているのは小ぶりの斧。それはユニカのものと同じ程度で、女子供が使っても支障はない大きさだった。とはいえ、それなりの重さがあるため、使うのはエポナやユニカに限られてはいた。
「これだけあれば十分だよねー。さてと、そろそろ……」
「エポナ、あんたに頼みがある」
「うわっ……!!」
 突然 背後から降りかかった声にぎょっと目を見開いて、エポナは思わず斧を握った手で物騒な挨拶を返しかける。だが今の声があの生意気な少年のものだと気付き、すんでのところで思いとどまった。
「変な声を出して、失礼な奴だな」
「失礼なのはどっちさ! 全く……驚いて斬りつけるところだったよ」
「それこそ失礼極まりない話だろ」
「………………」
 何を言っても意味がないように思え、エポナはやれやれと内心で苦笑する。
「何をしてたんだ?」
「んー、見て分かんない? 薪割りってやつ。これで当分は困らないはずだよ」
「ああ、なるほど。確かに適役だな」
「どういう意味かは聞かないでおくよ。それより、何か用があって来たんじゃなかったっけ?」
「あ、ああ……」
 さっきまでのユーゴとは打って変わり、落ち着きなく視線を漂わせていた。変だな、と訝しむエポナの目の前に何か赤いものが突き出される。
「これを切ってくれ」
「切ってくれ、って……あんたリンゴも切れないわけ?」
「いや、その……」
 そんなエポナの半ば呆れたような口調に反論するかと思いきや、意外にもあの嫌味な反撃はなかった。それどころか、返ってきたのは何とも歯切れの悪い返事。ますます意外、いや恐ろしいほど珍しい光景だった。
「その、の後は何?」
「………………ウサギだ」
「は?」
「……ウサギの形に、切ってくれ」
 あまりの珍しい様子に、とうとう壊れたかと思ってしまうエポナだったが、自称“勘のいい”彼女はすぐにピンと来た。
 確か、前に誰かからそんな話を聞いたような、と。
「……ははー、なるほど」
「何だ? 何が言いたい? どうせまた下らない想像をしてるんだろう」
 含みのある笑みを浮かべると、案の定、今度は眉を顰めて反撃に出る。
 しかしユーゴのその行動は結局、エポナのその予想を裏付けてしまっていた。天才と言われる割に、こういう駆け引きには全く向いていない。
「アンタも可愛いとこあるじゃん。へぇ、そっかそっか〜」
「なっ!? 可愛いとか言うな、僕は男だぞ……!」
「はいはい、ちゃんと分かってるって。皆には内緒にしといてあげるよ」
「………………それで、出来るのか出来ないのか、どっちなんだ?」
 さすがにからかいが過ぎたのか、さっきまでの狼狽ぶりはいつの間にか消えていた。 彼の背後に二つの眼が見えるのは気のせいだと思いたい。
「はは……まあ大丈夫だって。お姉さんに任せておきなさい!」
(……不安だ……)

 それが、今から数時間ほど前の出来事。
 そして、現在の状況は――。

「………………」
「………………」
 様子を見に戻ってきたユーゴの目の前には、どう贔屓目に見ても“ウサギ”とは思えない物体が転がっていた。
 あれからユーゴは刃物を手にしたエポナの後ろで様子を見ていたが、そのうち「あーもうっ、気が散るから外に行ってな!」と彼女から追い出されてしまったのだった。
 そして頃合いを見計らって再び訪れたわけだが――果たして、ウサギの耳はこんなにも短いものだっただろうか。
「………………何だ、これは?」
「あ、あははー……うーん、何だろうねー……?」
「………………」
「結構難しいもんだねぇ! これでも上手くいった方なんだけどなぁ……」
「……ウサギというより、むしろピッカードだな」
「ちょ、ちょっと……! 人の最高傑作を魔獣に例えないでよね!」
 リンゴを切るには刃物が必要で、そういう類はミュシャよりもエポナが最適だろう、という安易な考えで彼女に頼んだユーゴだったが、それが間違いだったのかもしれない。いや、もしかすると女性陣の誰よりロイに頼んだ方がマシだったのではないだろうか。
 今更、そんなことを考えても仕方がない。とりあえず、まあ、百歩譲って生物のようにも見えなくはない。これで我慢するとしよう。
「手間を掛けたな。僕はもう行くから、後片付けは頼んだぞ」
「うわ……、まーいいけどね。喜んでくれるといいねぇ、あの子」
「………………・うるさい」
 誰にも言わないとは言っていたが、彼女には確実に後でからかわれるだろうと思うと少し鬱陶しい。
 しかしまあ、それについては後で考えるとして、ひとまず今は――。





 彼女の行きそうな大体の場所は把握しているつもりだった。
 まず女神たちの居場所。地上での家。そして、腕が鈍ると困るからと未だに欠かさない、訓練の場。
 結局、その三つを順に回ることになったユーゴは、ようやく緑が戻りつつある草木の中で斧を振り回す少女の姿を見つけた。いつ声を掛けようかと迷っていると、彼女の方が先に気が付いた。
「あれ、ユーゴ君も特訓?」
「いや……まあ、その……差し入れ、だ」
「え? 何?」
 少し離れていた所為もあり、ユーゴの声は風に邪魔をされ届かない。
 ユニカは斧を足元に置くと、何故か顔を背けてしまっているユーゴの元に駆けていく。


「あれ? これってリンゴだよね? うわぁ、動物の形してる!」
「あ、ああ……エポナが君にどうしてもって……」
 当のエポナが聞いたら、何を誤魔化してるんだか、と茶々を入れられるところだろうが、幸か不幸か今はユーゴとユニカの二人しかいない。だから、このリンゴの真の贈り主が誰であるか、ユニカは知らない。
「くすくす、何だかエポナさんらしい切り方だよね」
「まったく……ウサギ型だと言ったのに、これじゃ生き物かどうかすら危……」
「え? ユーゴ君が頼んだの……?」
「……!」
 別にユーゴにはそれで十分だったのだが、ユニカの嬉しそうな様子に思わず口が滑ってしまった。それは彼にしてみれば一生の不覚とも言うべき失態だった。
「………………」
「………………」
 暫し沈黙が辺りを包む。
 耳に届くのは柔らかく吹く風の音。
 そして、ユーゴの目に入るのはユニカの驚いたような表情。
「……あー……その、なんだ……」
「……あの、もしかして……さっきの、気を遣わせちゃったかな……?」
「いや、別に……僕が勝手にしたことで……」
 口を開けばボロが出るばかりで、まるで自分が泥沼に足を踏み入れたかのようだった。
「……あ、ありがとう……ユーゴ君」
「え? あ、ああ……」
「ユーゴ君もエポナさんも優しいね。本当に、ありがとう……!」
 ユニカは満面の笑みで“ウサギのような形”のリンゴを手にする。
 それを見たユーゴは、戻ったら一応は礼を言っておくか、と今度は自分から手を伸ばした。


     end



 2006/12/31/MON
  ユゴユニより姉弟(エポナとユゴ)の方が多い。
  この話、姉弟&兄妹の後日談も書いてみたいなぁ。(リンゴが更に広がる……笑)

 2006/12/27/WED & 2007/01/05/FRI
  ラクガキ過ぎて ごめ・・・!あれ 日付が合わない・・・。(笑)